天命に至り、次の10年を思ふ。

「論語」の一節に「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」とあるそうで、さしずめ「天命」にあたる本日、KCmitFの振り返りとこれからをまとめていこうと思う。

KCmitFを立ち上げたのは2012年、今振り返るとその前年の東日本大震災やスティーブ・ジョブスの死から色々と考えさせられる事がきっかけとなり、自分で事業を立ち上げようと一念発起した記憶がある。当時既に38歳、会社勤めの経験しかなくいきなり独立すると決めた私の周囲には、無謀な私を親身に心配をしてくれる人が多くいた。しかし厳しい環境の中で色々と足掻きながら、自分が誰かの為に役に立てる部分が徐々に見えてくるようになり、

・日本のものづくり
・海外展開
・「売れる」ことにコミット

といった基本の軸が出来ていった。独立して2年、ちょうど不惑を迎えた2014年には事業活動にも確かな手応えが得られるようになり、行けるところまで、やれるところまで突進していくような状況となり、試行錯誤はありながらも幸いなことにここまで事業を継続してくる事が出来た。不惑の歳にSupermamaのEdwinとの共同事業lo-opが設立されたことも今となっては運命的なことだったのかもしれない。lo-opは当初10年の時限を設けたLLPだったが、昨年から二人で協議をして、もう10年やってみようということで登記を変更した。

ハイスピードでありながらもシンプルに直進を続けていた最中に、2020年からCOVID-19が世界を包みこんだ。この影響は自分の事業には緩やかに、しかし大きな影響をもたらしていて、単純に物理的な移動や輸送が高コストになっただけでなく、世界中の人々のマインドが大きく変わった事でこれまでのビジネスロジックを抜本的に見直す必要が出てきた事の影響が非常に大きかった。

開業時に掲げていた「日本のものづくりは世界から必要とされている」というテーマだけではもう通用しないのではないか?と自問自答する日々がその頃から始まり、実はここ最近までその悶々とする日々は続いていた。それは国内でも同じで、最近はインバウンドの消費が大きくなり見え難くなっているかもしれないが、より本質的なものを求める日本人生活者は世代を問わず増えてきているのを店頭で実感している。

KCmitFを通じて世界中に様々なパートナーが出来たおかげで、彼等と継続的なコミュニケーションを取りながら、それぞれの国の文化的背景を学べば学ぶほど、日本にとって、日本人にとってのものづくりとは特別な意味を持っているのではないかと思えるようになってきた。コロナ禍の前まで、東京オリンピックの開催を控えニッポン押しで湧き立つ国内を見ながら、Made in Japanという言葉がファッションのように、単なる消費物のように扱われる状況をどこか懐疑的に見ていたのは、そんなに軽いものではないという思いが強かったからかもしれない。

色々とまだ思考のプロセスはあるのだが、そろそろまとめに入ろう。50歳は天命を知る歳であり、今自分が強く思っている事は、「ものづくりはひとづくり」であるという事だ。産地の環境や歴史背景はもちろん、そこに暮らす人たちが生業として続けてきたものづくりを未来に繋げていく為には、市場を追い求めるだけでは十分ではなく、市場を作っていく事が大切だ。奇しくも日本のモノを海外で販売する時、人々の価値観の外側にある物体が、価値のあるものとして認識され、購買に至るプロセスは市場を作るという事に通じている。

よくわからない、いらないと思われていたもの、視野に入っても風景にしか見えていなかったものが、気になる、欲しいとなる瞬間、市場が出来る。自分が天命としてこの先の人生をかけてすべきことは、日本人のアイデンティティとも言えるものづくりへのこだわりや、それが生まれ、継承されてきた背景にもスポットを当てて、理解促進を促し、市場を形成していくことだと考えている。

ものを作る、売るという根本は変わらずに継続しつつ、日本のものづくりを知ってもらう、学ぶ機会を創出するという事を国内外に向けて展開していこうと思う。消費されるMade in Japanではなく、より本質的な価値を啓蒙するRedefining made in Japanを天命として「六十にして耳順う」までの10年を生きていこうと思う。

さて、また風呂敷を広げてしまいました…。